
それまでの生糸は繭農家がそれぞれ座繰りと呼ばれる機械で紡いでいましたが、富岡製糸場では最新鋭の製糸機械を導入したことで、生糸の大量生産を可能にしました。
また、富岡製糸場では工女を育て、各地の製糸場の指導者として活躍するため、教育体制も万全でした。
製糸場の工女というと、映画にもなった「あゝ野麦峠」のような辛い生活を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、富岡製糸場で働く工女は、華族(大名の一族)や士族(武士の一族)の女性がほとんどで、いわばエリート中のエリート。
快適な環境の女工館など、労働環境でにも恵まれていたそうです。